[イタリア / 1918-2002]
1918年イタリア、ミラノ生まれ。ミラノ工科大学の建築学科を卒業後、1944年から兄のリビオ(1911-1979)と、ピエール・ジャコモ(1913-1968)と共に建築家・デザイナーとしてキャリアをスタートさせた。
兄リビオが独立してからは、ピエール・ジャコモとアッキーレ2人での活動となり、より家具や照明のデザインへ傾倒していきます。そして1950年代に入り、ピエール・ジャコモとアッキーレはデザインにおける独自の感性を次々と表現していきます。
彼らは日常生活(everyday things)からインスパイアされたデザインのアイディアを、普通の素材・普段どこにでもある素材(ordinary materials)を用い、また、必要最小数量の素材で最大限の効果を表現したのです。1957年に発表された、自転車のサドルからヒントを得た「SELLA」と、トラクターのシートをヒントにした「MEZZADRO」の実験的とも言える2つのスツールは、まさにその象徴的プロダクトといえます。
1962年には、フロス社設立と同時に同社へデザインの責任者としてピエール・ジャコモとアッキーレが招聘されました。そして1960年代のイタリア照明界の代表デザイナーとなるのです。大理石ベースから曲線を描きながら伸びるアームを持つ「ARCO」などは今やモダン照明デザインの古典的存在といえるでしょう。
アッキーレは1956年に設立したADI(インダストリアル・デザイン協会)の文化活動にも積極的に参加しており、1968年にピエール・ジャコモが亡くなるまで2人によるデザイン活動が続きました。1969年から1977年までトリノ工業大教授。その後2002年に亡くなるまで多くの作品を精力的に発表し続けました。
[デンマーク / 1914-1972]
デンマークのオルボーに生まれ、1938年から1941年かけて、王立芸術アカデミー家具科に在籍し家具デザインを学ぶ。デンマーク近代家具デザインの確立者であるコーレ・クリント、モーエンス・コッホに師事。その後、王立芸術アカデミーにて教鞭を執る。1942年からはデンマーク協同連合連合会家具部門に主任として勤務。シェーカー様式の椅子をアレンジしたチェアを発表する。1950年に独立、設計事務所を開設する。
作品には、各国の大使館や公館などにむけてデザインされたソファがある一方、庶民のための美しいデザインを追求した。ハンス・J・ウェグナーと共作でソファを発表するなど、1972年に没するまで幅広い活動をする。
[イタリア]
[リヴィオ・カスティリオーニ 1911-1979]
[ピエル・ジャコモ・カスティリオーニ 1913-1968]
[アッキレ・カスティリオーニ 1918-2002]
ピエール・ジャコモ・カスティリオーニとアッキーレ・カスティリオーニの兄弟によるデザインユニット。
当初は兄リビオも含めた3人で活動していたが、1950年代に入り、リビオが独立してからは、ピエール・ジャコモとアッキーレ2人での活動となった。その後、ピエール・ジャコモとアッキーレはデザインにおける独自の感性を次々と表現していきます。
彼らは日常生活(everyday things)からインスパイアされたデザインのアイディアを、普通の素材・普段どこにでもある素材(ordinary materials)を用い、また、必要最小数量の素材で最大限の効果を表現したのです。1957年に発表された、自転車のサドルからヒントを得た「SELLA」と、トラクターのシートをヒントにした「MEZZADRO」の実験的とも言える2つのスツールは、まさにその象徴的プロダクトといえます。
1962年には、フロス社設立と同時に同社へデザインの責任者としてピエール・ジャコモとアッキーレが招聘されました。そして1960年代のイタリア照明界の代表デザイナーとなるのです。大理石ベースから曲線を描きながら伸びるアームを持つ「ARCO」などは今やモダン照明デザインの古典的存在といえるでしょう。
アッキーレは1956年に設立したADI(インダストリアル・デザイン協会)の文化活動にも積極的に参加しており、1968年にピエール・ジャコモが亡くなるまで2人によるデザイン活動が続きました。
[アメリカ]
[チャールズ・イームズ 1907-1978]
[レイ・イームズ 1912-1988]
チャールズ・イームズは1907年、ミズーリ生まれ。ワシントン大学で建築を学び1930年に自身の建築事務所を設立。数多くの建築を手がける。初期のエーロ・サーリネンとのコラボレーションは、モダンデザイン誕生のきっかけをつくった。
レイ・イームズは1912年サクラメント生まれ。絵画の勉強を進めアーティストの道を歩んでいたが、1941年、チャールズと結婚。その後は、レイ&チャールズとしての活動が中心となる。
2人はハーマンミラー社のジョージ・ネルソンとともに、現代にも通じる画期的で斬新な家具を数多くデザインしたが、活動はそれだけにとどまらず、映像、写真、展示デザイン、グラフィックデザインなど、60~70年代のモダンデザインのパイオニアとして活躍した。
[アメリカ]
[チャールズ・イームズ 1907-1978]
[エーロ・サーリネン 1910-1961]
チャールズ・イームズはワシントン大学で建築を学び1930年に自身の建築事務所を設立し、数多くの建築を手がける。初期の エーロ・サーリネン とのコラボレーションは、モダンデザインの誕生のきっかけをつくった。
エーロ・サーリネンは幼少のころから、デザインや建築に囲まれた環境に生まれ育ち、1923年に渡米、1929年パリで彫刻を学び翌年にはイェール大学で建築を学ぶ。その後エーロ・サーリネン は、建築家の父エリエルとともにアメリカに移住。 北欧モダンとアメリカンモダンを調和させた建築や家具を発表する。アメリカのミッドセンチュリー期における重要な役割をはたした。
[フィンランド / 1932-]
エーロ・アールニオ は1932年、フィンランド・ヘルシンキに生まれる。THE INSTITUTE OF INDUSTRIAL ARTS OF HELSINKIにて工業デザイン・インテリアデザインを学び、1957年卒業。
その後1962年に独立し、自身のスタジオを開設。型にとらわれないポップなデザインを持つ作品を数多く生み出し、また、FRPなどの新素材を用いた新しい家具デザインの道を作り出した。
[アメリカ / 1910-1961]
1910年フィンランド生まれ。1923年家族でアメリカへ移住。父は建築家のエリエル・サーリネン。イェール大学で建築を学ぶ。父の建築事務所で働きながら、クランブルック美術アカデミーで教鞭と執る。同校の研究員だった同僚のチャールズ・イームズと共に1940年に共同で「オーガニックチェア」を発表。
ニューヨーク ケネディー空港TWAターミナルを設計したりと、アメリカのミッドセンチュリー期における重要な役割をはたしたデザイナーの一人である。
[アイルランド / 1878-1976]
アイリーン・グレイは、1902年までロンドンとパリで絵画を学びます。勉強の傍ら工芸品にも興味を持ち、漆塗りの技術習得の為に来日したこともあるそうです。その後、ロンドン・パリで過ごしながら家具デザインに携わり、1922年にインテリアや家具デザインを手掛ける自身の事務所を設立しました。
彼女の代表作として最も有名なものは、鋼管を使用したE1027テーブルです。昇降機能を持たせたこのテーブルは、ベッドサイドでの利用を想定して考えられたものです。
アイリーン・グレイの特徴は、独学で建築を学び、鋼管家具の設計といったオリジナリティと独創性、また、チャレンジ精神旺盛な仕事にありました。
[デンマーク / 1912-1989]
フィン・ユールは本来は建築家である。当時のデンマーク家具業界では、コーレ・クリントに学んだオーレ・ヴァンシアやボーエ・モーエンセンなどのクリント派が大勢を占めており、本来建築家であるフィン・ユールの彫刻的なデザインは突飛なものとして反発と揶揄が集中したと言われています。
フィン・ユールを最初に評価したのはアメリカだそうです。当時、大量生産品に慣らされたアメリカ人が、スカンジナヴィアのモダン・ハンディ・クラフト製品に感銘を受け、中でもフィン・ユールの家具デザインを高く評価したのです。その後、デンマークにおいても評価され始め、家具・テーブルウェア・照明・旅客機の内装デザインなど、広範囲に渡り活躍をしました。
家具の代表作には、「世界で最も美しい肘をもつ椅子」と評されるNo.45 イージーチェアや、チーフティンチェア、ペリカンチェアなどがあります。
[オランダ / 1922-]
1922年 オランダ、アムステルダム生まれ。オランダ初のデザイン会社となった「トータルデザイン」の創設メンバーで、スキポール空港、大阪万博のオランダ間なども手掛ける。1953年に発表したリボルトチェアはミラノトリエンナーレに出展されダッチスタイルの有名なアイコンとなった。
1971年以降アーレント社のアートディレクターも勤めたクラマーは1972年に有名なオフィス家具シリーズを立ち上げ、人間工学に基づいた近代的なオフィス環境を作り出しました。
[アメリカ / 1917-]
アメリカ、ミシガン州生まれ。
12歳の時に建築家エリエル・サーリネンの養女となり、クランブルック芸術アカデミーやイリノイ工科大学で、建築について学んだ後、ウォルター・グロピウスや、マルセル・ブロイヤー、ウォレス・K・ハリソンらと共に仕事をしました。
1946年にハンス・ノールと結婚しノール社を設立しました。彼女は総合的な建築と家具との融合であるトータルデザインを信条としてインテリアをプランニングしました。
アメリカ建築家協会金賞を始め多数の賞を受賞している、アメリカを代表するデザイナーです。
[アメリカ / 1908-1986]
George Nelsonは、建築家であり、グラフィックデザイナー、著者、教師、インテリア・プランナー、プロダクトデザイナーと多数の才能を存分に発揮した活動をしてきました。最初は、芸術学を学んだ後、建築の分野で功績が認められ、建築フォーラムの編集スタッフとして働き、最終的にハーマンミラー社との共同作業により更なる功績をあげ、時計・家具等 数々の名作を残してきました。
作品には、マシュマロチェア・プレッツェル等があり、イームズ、サーリネンらと共にミッド・センチュリーを代表する建築家・デザイナーです。
[イタリア / 1912-1984]
1912年イタリア、ヴェニス生まれ。1936年にアルテルーチェ社を設立し、オリヴェッティのオフィスやミラノのツフォルツァ城などの照明を手掛ける。
1955年、56年と2年連続でコンパッソ・ドーロ賞を受賞し、照明デザイナーとしての地位を確固たるものにした。400点以上の優れた作品を残している。
[オーストラリア / 1922-1995]
1922年オーストラリア、ジーロング生まれ。独学でデザインを学び、照明やガラスパネルなどの製作をする。4年間の兵役ののち1951年に成形合板を用いた、コンターシリーズのデザインを手掛ける。1956年には最初の家具インテリアのショールームを構え、57年から13年間アリストックインダストリーのコンサルタントを努める。
イギリス出身の妻メアリーと共に、様々な家具のデザインを手がけ、展示会、グラフィックなど、幅広く活躍した。彼らのデザインは、多くのグッドデザイン賞を受賞し、国立公園・州立美術館や博物館のコレクションとして収蔵されている。
[イタリア-アメリカ / 1915-1978]
1915年、イタリア生まれ、15歳のときに家族とともにアメリカに移住。
デトロイトの大学で彫刻と金属工芸を学び、卒業後はクランブルック美術アカデミーに入学。同アカデミーで金属工房を設立、指導する。
1943年、イームズ夫妻とプライウッドの加工技術を共同開発し、その後ハリー・ベルトイアは金属ワイヤーを用いた「ダイヤモンドチェア」や「ベルトイア・サイドチェア」を発表。世界中で高い評価を受ける。その成功をもとに専門である彫刻に専念し、再び椅子のデザインをすることはなかった。
[デンマーク / 1921-2003]
家具デザイナーとして多くの量産家具およびキャビネットメーカーの製作家具のデザインを数多く手掛けた。
イブ・コホド-ラーセンの名を後世に残すこととなった名作"エリザベスチェア”や”IL-10 イージーチェア"などが代表作。
[アメリカ / 1904-1988]
アメリカで生まれ、幼少期を日本で過ごし、14歳から再びアメリカへ。1922年から彫刻家として仕事を進める傍らコロンビア大学の医学部(人体研究)へ通い、NYのダヴィンチアートスクールで彫刻の研鑚に努めました。
その後パリに渡り、アートや彫刻の勉強を続けます。1936年にメキシコ・シティのダウンタウンでのモニュメント製作、第2次世界大戦時には、強制収容所へ収容させられましたが、釈放後は再び精力的に活動し、エルサレムの国立美術館の庭園設計、家具、舞台美術等での世界的な活躍が認められています。
彼に関しての書籍を読めば読むほど「彫刻」というアートに深く傾倒したアーティストとしての情熱的な姿勢が見えてきます。
[フランス / 1901-1984]
1901年パリに生まれる。アールヌーヴォーの巨匠、ヴィクトール・プルーヴェを父に持ち、東フランス、ナンシーのアールヌーヴォーの環境の中で鉄加工技術を身につける。
1932年頃に自身のアトリエを設立。パリで、ル・コルビュジエ、シャルロット・ペリアンらと知り合い、1930年には彼らと現代芸術家組合(UAM)を設立。合理的で無駄の無い構造の家具を数多く手掛けた。
プルーヴェはナンシー市の市長や大学の教授も務め、建築家としても活躍した。
[デンマーク / 1916-]
1916年デンマークのコペンハーゲン生まれ。
工芸およびデザインのコペンハーゲン学校でデザイナーとしての訓練を受けました。ハンス・ウェグナーやボーエ・モーエセンと同じく学び、家具デザイナーとしての技術を習得しました。建築事務所で働きながら作品を発表し、有名になりました。
1939年、アメリカに拠点を移しフリーランスとして活動しますが、41年ノール社と契約、沢山のスツールやラウンジチェアをデザインすることとなります。
戦後は、自らJRDを立ち上げ家具の製作を始めます。後に、ジョンソン大統領が使う執務室のチェアをデザインすることで有名になりました。
[スイス / 1887-1965]
ル・コルビジェ(本名:シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ=グリ)はスイス・ラ・ショー=ド=フォンで生まれ、フランスを拠点として活動した20世紀を代表する建築家。黄金比率に魅せられ幾何学形態の中に建築のモチーフの多くを見出し、数多くの作品を手がけました。
事務所のメンバーであるピエール・ジャンヌレやシャルロット・ペリアンらと手掛けた家具「LCシリーズ」は、従来の装飾芸術としてのインテリアからの脱却を図る為の設備品としてデザインされた。
建築では、サヴォワ邸、ラ・ロッシュ邸等の住宅の他に、大型のアパートメントであるユニテ・ダビタシオンやロンシャンの教会など数多くの名建築を残しています。
[ハンガリー / 1902-1981]
ハンガリー、ペーチ生まれ。鋼管家具デザイナーの草分けとして知られる人物。ドイツ、アメリカで活躍。
バウハウス家具工房でグロピウスに師事し、一期生としてスチールパイプを使った椅子や、木による規範家具の開発に勤しむ。スチールパイプを使った椅子は、家具の規格、量産化の先駆けとなるアイディアが詰まっていて、インダストリアルデザイン誕生を担ったとも言われる。中でも「3Bチェア」(1925)は自転車の構造にヒントを得た、ヴァシリー・カディンスキーのために作られたため「ワシリーチェア」とも言われる椅子が有名である。
力学的に最小限のパーツからなるブロイヤーの家具は、新しい素材、技術に裏打ちされた機能美あふれる作品と高評価されています。
[オランダ / 1899-1986]
本名 マルティヌス・アドリアヌス・スタム、オランダ生まれ。
当初、画家として働いていたが、ベルリンの建築事務所に勤務。この時期にバウハウスと関わり大きな影響を受ける。オランダに戻ったマルト・スタムは、世界で最初のスチールパイプによるカンチレバー構造のチェアをデザインした。フランクフルトで建築家として仕事をする傍ら、バウハウスの基礎建築と都市開発の分野で客員講師を務める。その後は各地で建築家として活躍。美術・工芸両分野の教育に携わり活躍した。
[ドイツ / 1886-1969]
コルビジェと並び20世紀を代表する建築家として、またバルセロナチェアのデザイナーとして私達にもとてもなじみが深い存在です。初期の作品として「トゥーゲンハット邸」の設計、1929年スペインで開催されたバルセロナ万博のドイツパビリオン等の作品評価がミースの建築家としての地位を確立し、バウハウスの3人目にして最後の校長にもなりました。このときのミースの学長としての仕事は、バウハウスの終焉をフォローして行く大変な役割だったと伝えられています。
後に活動の場をアメリカに移し、建築家として専念します。以後生涯200を越える建築作品の内の120以上もの作品をアメリカで手がけました。ファンズワース邸やレイクショアドラブアパートメントなどが有名です。生涯、建築に対する考え方を固定化せず、社会・材料・テクノロジーを見つめ「流動する」をテーマに建築家として生きたのが、ミースです。
[アメリカ / 1920-1987]
アメリカ、ニューヨーク生まれ。コロンビア大学で芸術を学び、卒業後、2年間MoMAでインストラクターを勤めた。バウハウスの影響を受け、グラフィックデザイン、建築、インテリア、工業デザインまで広く手掛けた。代表作は、チャーナーチェア。
日本でも広く知られているプレハブ建築設計工法は、1957年にノーマン・チャーナーが考案した。20世紀を代表するアメリカの住宅建築家の一人でもある。形成合板を使った家具や収納デザインの著書も多い。
[デンマーク / 1894-1967]
デンマーク、コペンハーゲン生まれ。伝統的な機能主義建築から経験を積みつつ、照明分野へ徐々に傾倒していきます。また、活動領域は文筆活動にも広がり、ジャーナリスト、作家としても活躍しています。第二次大戦時にはスウェーデンに亡命し、デンマーク人アーティスト・コミュニティーの中心的人物となりました。
ポール・へニングセンは、照明デザインのパイオニアとして、間接照明や生活空間での照明のあり方などを常に提案し続けました。 - 影と光、グレア、光による色の再現、そしてそれら光の特性を人間の福利に結びつくように利用すること - は、彼の有名な言葉として多くの人々や企業に息づいています。
[デンマーク / 1929-1980]
ポール・ケアホルムは北欧を代表するデザイナーの1人です。特に家具において北欧と言えば美しい木製椅子の有名デザイナーが多い中一人、独自の路線で優れた作品を数多く発表してきました。
その中でもPKシリーズの作品群は、木製品では決して表現できない線の細い、美しいフォルムを持たせています。金属を中心にフレームの強度を利用して木材では表現できないすっきりとした、より近代デザイン表現をしてきました。
[デンマーク / 1923-2001]
ハンス・オルセン家具製作工場で訓練を受けて家具職人となり、その後The School of Arts and Craftsを卒業。
後に、The Danish School of Art and Designで教鞭を執り、若手デザイナーの育成に尽力し、多大なる影響を与えた。
[アメリカ]
アメリカ合衆国、カンザス州生まれ。
School of the Art Institute of Chicago、Rietveitd Academie、Domus Academyでデザインや建築を学ぶ。
トム・ディクソンやジェームズ アーヴィン、エットーレ・ソットサスなどのスタジオを経てイタリア、ミラノにdix designを設立。
MoschinoやBluebell、Harrods、Bosco di ciliege、Fiorucci、Byblosなどの仕事を手掛ける。
IULM(ミラノ)、Piletecnico(ミラノ)、Domus Academy(ミラノ)、Beckman's(ストックホルム)、 SAIC(シカゴ)など、世界各地で教鞭を執る。
現在では、自身の家具デザインコレクション「DIX COLLECTION」のデザイン・開発を行いながら、店舗デザインやブースデザインなど、建築・インテリアデザインを精力的に行っている。
E-comfortさいたま新都心 ショールームもSean Dixが2008年に手掛けた。
[デンマーク / 1926-1998]
1926年デンマークに生まれる。コペンハーゲンの王立美術アカデミーで建築を専攻した後、当時の北欧のトップであったアルネ・ヤコブセンの建築事務所で働く。
その後、若干29歳で建築デザイン事務所を設立し、1957年には20世紀の名建築家のひとつ「カードボードハウス」を設計する。スイスに移住後は国にとらわれない幅広い活躍をはじめる。
フリッツ・ハンセン、ルイス・ポールセン、トーネット、ハーマンミラー、そしてヴィトラで数多くのデザインを残し、現在も生産を続けられているものも多い。